桂瑚の言の葉畑

アラフォーにして人生の生き直しに挑戦中。

親を看取るということ

4/7 昨夜、友人YRKさんから「声聞きたい」とlineを頂き「嬉しいな~。どしたのかな?
」なんて思いながら電話しましたら、YRKさん泣いてて…


少しだけ、少しだけ予感がありました。
今、私に連絡してくれるのは、もしかしたらって。
全気力を集中して、お話伺おうと思いました。


YRKさんは元同僚。
介護の必要となられたお父さんを自宅で引き受けお世話する為、一年程前に退職しましたが御縁は続いています。年齢はYRKさんの方がお姉さんですが私の大事な友人。


お父さんが体調を崩され入院し3/31退院。
私は3/31当日退院日なのを知らなくて、時間があるなら少し顔見に行きたいなと思って連絡したのですが、退院初日ということでお父さんのADL確認・観察等が必要なのでまた今度会おうね。ということになりました。
「退院おめでとう😆今日(3/31)は一粒万倍日+天赦日+寅の日のトリプルラッキーデー。ある意味でとても良いタイミングで退院できたのかも知れないよん💘」なんて、呑気なline送ってました。


このコメント送るの迷ったけど。
少しだけ「退院」の意味を感じていたから。


その日の夜にYRKさんから「なるほど✨色んなことお父さんと涙あり笑いありで話せました😄」と返信頂きました。


お父さんね。あまり状態はよろしくないようです。
ご本人も理解されているようです。
あと、どのくらい生きられるか。どのような症状が発症していくか。ぼんやりでも。
でも、ご高齢でもあり認知機能の低下も見られていたり。


これからのお父さんご本人の生き方、家族の生き方が「日常」として続きます。


ただ、昨日YRKさんが私の声聞きたいって連絡くれて、幸いにも私夜勤じゃなかったので話せたのが良かった。
泣かせたかった。私のエゴですが。
ちゃんと泣かせておきたかった。(言い方えらそー💦)


YRKさんね。「泣いたらくじけそうで誰にも会いたくなかった。話せなかった。」と言っていました。
すごくすごくすごく「わかる」気がしたんです。
「渦中」に居るとそうだと思う。


だからこそ、連絡くれて良かった。泣いてくれて良かった。泣かせようと私、必死だった。


「泣いてもくじけないよ❕ 」
「次のことは後で考えればいーの❕「今」「泣け❕」
「泣いて、涙と一緒に身体から、不安とか哀しみとか後悔とか諸々「今」の「感情」を出しちまえーーー」(次の感情はその後で受け止めればいい。今じゃない。後でいい。)


そう思って。泣いてくれるなら泣きたいだけ泣いててほしくて。
話したくなった頃に、ゆっくり、文脈どうでもいいから出てくる言葉を出してほしくて、ただ聞いていました。合間で想うこと伝えたけれど、ただ、聞かせてもらいました。


これからの、介護・闘病生活。現実的に諸々大変な事は解り切ったこと。
ある意味ではお互いに諸々見て来ましたから。
ただ、当たり前ですが介護の現実は「千差万別」


私も、YRKさんの「現実」と向き合い、望まれたなら出来ることをする。


自分の時のこと、思い出してしまいます。
私は母と父を看取りましたが、自分の時は「泣けなかった」「泣かなかった」
「渦中」に居た頃、自分も若かったし「しっかりしなきゃ」とか追い込んでいました。
兄弟はいましたけれど、私の場合は兄弟の協力を得られず、一人で両親みていましたので。


父の葬儀の際、初めてYRKさんに抱き着いて泣きました。


「泣く」って大事なの。
本当に大事だと思います。当時、泣かなかったことで、後に寝たきりになった私(笑)


勿論、人それぞれ事情は様々です。
諸々の状況に寄りますけれど、「一人で頑張らなきゃ」とだけは思わないで頂きたい。
家族・身内だけではありません。
友人・地域様々な立場で必ず助け合っていける。
まだ、どこかで「人様に迷惑をかけちゃいけない」とか「自分がやらなきゃ」とか考えてしまうのも解ります。
逆に、介護を勘違いして「何でもしてもらえる。」「お金払っているんだから言うこと何でもしてもらって当たり前」という人も中にはおられるでしょう。


世代を交えて、一緒に生きて死んでいきましょう。



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