自分だけの精神安定語
言葉によって傷ついて、言葉によって救われる。言葉によって元気になって、言葉によって癒される。そんな経験はどなたにでもあるかと思います。
最近、仕事や人間関係の一部で疲れてしまい、逃げたい気持ちに流れています。
逃げない方が良い課題なのか、逃げた方が良い課題なのか、渦中にいるとなかなか客観的には判断できない時があります。
誰かに「頑張ってね」という言葉をもらった時。
その時の状況や関係性で受け止め方、解釈が違ったりしませんか?
私の場合、「頑張る」という言葉が苦手な時期がありました。
自分で「頑張ります」というのも、誰かに「頑張ってね」というのも心苦しいというか、不快な時がありました。今も時折感じます。勿論、嬉しい時も有難い時もあるんですよ?
結局は気分の問題なのかしら。
かつて、私は「うつ病」でした。発症したのは10年以上前、母の介護、看取り後です。
今は「うつ病」ではありません。「うつ病は治る」を信じて治療し実践した後の今です。
当時、私も「頑張れ」といわれるのがしんどかったんですよね。
捉え方を変える練習とか色々試してきて、今はちゃんと、その時々の状況や関係性の中で悪気のない素朴なエールの時もあると自分なりに受け入れるようになっています。
「頑張る」→「頑なに張り詰める」→「我を張る」が私の「頑張る」のイメージ・解釈。
人目や人の意見に過敏過ぎて他人軸になっているくせに「我を張る」ってどーよ。
「頑張る」よりは「気張る」の方がまだ私にはマイルドなイメージだったので必要な時には「頑張らないけど気張ってみるわ」なんて自分に言い聞かせてみたり。
張りたい我はあるはずです。でも、今は他人軸から逃れられなくて、この一年程は特にまともに言葉も発せられなくなっていました。(現実世界では今正に。ブログで綴らせて頂き有難うございます)
自分の中で「気張る」を採用してから少し楽になったのは「気張る」⇔「気休め」を自分なりに定義することが出来たからです。
私、「気休め」という言葉が好きなんです。
「気を休める」とは、なんて優しい気楽な言葉。
「いつも張り詰めている気をゆるめて休めて安らかになれば元の気が蘇って元気になれるかも」と。
ただ、私はかなりの怠け者で、それこそ気を付けないとどこまでも言い訳して楽な方に流れていく性質があるので要注意。自覚しているだけマシかしら?
「頑張らなきゃ・気張らなきゃ・ちゃんとしなきゃ・しっかりしなきゃ」
周囲の期待やプレッシャーを受ける場面も生きていればありますよね。
「めんどくさい・だるい・やってらんない。どーでもいい」
怠惰な自分との葛藤の場面も多々あります。
言葉の正しい意味は、取敢えず見て見ぬ振り。
自分なりに解釈・意味変・再定義して編み出したのが「気張らず・怠けず」
「頑張らなくていいよ。でもゆっくり励もうね」
それなりに長い人生の中で編み出した、私だけに向けた私の為の精神安定語です。
それにしても…
ここまで綴らせてもらっておいてなんですが…
桂瑚って
めんどくっせーーーーーーーーーー(笑)
転居後、初のガーデニング時に育てたピンクのラブリーなバラ子。
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